私はこうして自由社を追放された! 元幹部の告発文

非常に貴重な資料が公表されました。自由社の教科書編集責任者を解任された松本謙一氏が告発文を流しています。

それによると、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長は自由社版の出来に不満を持っているそうです。

そのような商品(しかも教科書)を売り続けるのは、まるで船場吉兆です。最高責任者が「現場が勝手にやったこと」と言っていることまでそっくりです。

以下、薔薇、または陽だまりの猫
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7151932631d42a3fd3105bdc6e603974
より転載

新しい歴史教科書をつくる会」でまたまた内紛です。つくる会の前東京支部長で「自由社」教科書編集室長の松本謙一氏が藤岡信勝会長および石井竜生氏(作家。自由社版の市販本を担当。妻は自由社取締役)によって自由社を追放された事実は一部で流れましたが、その松本氏が告発文(8月5日付)をかなり広範囲の人に公表しています。
 
松本氏の不満はともかく、そこから読み取れることは、
 
つくる会自由社は一体であり、藤岡会長は自由社に絶大な影響力を行使している。
・藤岡会長は2007年12月8日、松本氏に「一切任せる」という条件で教科書の作成を依頼し、松本氏は2008年1月18日に作業を開始し、3か月後の4月17日の検定申請締め切り20分前に白表紙を文科省に提出するというバタバタぶりだった。
自由社版の著作権料の配分は、藤岡会長7割強、松本氏とスタッフ2割強、他の執筆者が数%――で、記述の約8割が扶桑社版のコピーであることを裏付けている(なぜか約8割のうちの大部分の著作権料が藤岡会長に配分されている。例えば古代は高森明勅氏、中世は故坂本多加雄氏の執筆のはずだが…)。
・松本氏は来年度検定の教科書に自分の執筆部分の使用を認めないことを宣言しており、またも著作権紛争が起きる可能性がある。
・藤岡会長は自由社版の出来に非常に不満を持っており、松本氏とスタッフを激しく非難している(情報によると、文部科学省に訂正申請する)。にもかかわらず、藤岡会長は自由社版を宣伝し、横浜市に採択させたり、訂正しない市販本を売り続けている。

 
告発文は以下の通りです。
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題名:これが藤岡つくる会の本性

「新しい歴史教科書」に関係する皆様

自由社教科書編集担当 松本謙一

暑中お見舞い申し上げます。
 
文部科学省が「新編 新しい歴史教科書」の検定合格を発表した直後の去る4月15日、株式会社自由社加瀬英明社長から突然、教科書編集責任者を解任され、残務整理を済ませたのち、5月自由社を退職しましたが、その後、元の仕事に復帰し、元気で執筆、編集をやっております。
 
念願の「日本文明再評価活動」もこのところ志を同じくする方複数にめぐり合い、「つくる会」とは全く違う新天地での動きが芽生えています。 
 
さて昨夕、読売新聞の夕刊で、横浜市8区72校が「新編 新しい歴史教科書」を採択したことを読みました。
 
私を解任した直後、藤岡信勝つくる会」会長は側近の石井竜生とともに同会理事会等で、私や、この教科書のデザイン一切(市販本ではありません。市販本は石井が連れてきたデザイナーと称する人物が本の趣旨もろくに理解せずめちゃめちゃに弄り回した産物です)をやり遂げたSデザイナーを無能呼ばわりしたと理事会関係者から聴きました。
 
しかし、昨日一日で、少なくとも従来の扶桑社版の採択実績に倍する部数の採択を勝ち取ったのですから、藤岡会長と側近石井の、つくる会関係者への発言が事実に反し、私たち製作スタッフの仕事を意図的に貶めようとする中傷であったことは証明されたと思います。
 
読売新聞の記事の末尾の「扶桑社と自由社の教科書の『8割が同じ内容』(同会)という。』という記述を読み、私はいまさらながらに「藤岡会長の本性がここに浮き彫りになっている」と感じました。
 
先般、福地、杉原両副会長を立会いに、藤岡会長と著作権の分担比率の確定を行いました。その結果、私と協力者K.I.女史の著作部分が全体の2割強、藤岡会長の著作権が7割強、あとは他の執筆者、ということが確認されました。
 
おそらく藤岡会長はこれを根拠に「8割は扶桑社版と変わらない=自分の功績」という積りで、新聞の取材には「8割が扶桑社と同じ内容」と回答したのでしょう。私には製作開始に当って「極力扶桑社色を排除するよう」指示したにもかかわらず、です。
 
しかし、これは極めて危険な「供述」です。
 
「内容の8割が同じ」とすれば、扶桑社は自社の製作した部分を根拠に「類似品を承知で出した」とクレームをつけてくる恐れがあります。「8割が同じ」なら、それは「企画のほとんどは扶桑社に無断で盗用した」と自ら認めたも同然ですから‥
 
これ一つとっても、藤岡会長という人は、「つくる会」や「自由社」の立場より自分の存在のアピールを優先しているかがわかります。
 
しかし、皆様にはご安心ください。
 
「扶桑社版と同じ」なのは藤岡会長が著作権を持つ「本文記述の7割強」に過ぎず、それは本全体の記述では全体の4割程度にしかなりません。
 
なぜなら、著作権の配分計算には入れない、と前まえから申し合わせていた図版の説明、側注、そしてページ隅の「ここがポイント」で私とK.I.女史が新たに書き起こした部分の文字量、扶桑社版には無い内容は膨大な文字量があります。それや、新しく構想した各章の扉を含めると藤岡会長の執筆文字量=扶桑社と同じ内容の比率は多くとも4割台を越えません。
 
私が藤岡氏から「一切任せる」という条件でこの教科書の製作を頼まれたのが平成19年12月8日。それから加瀬氏と藤岡氏の調整があって、資金目処がつき実質作業開始できたのが平成20年1月18日、それで白表紙本を文部科学省に提出できたのが平成20年4月17日の締め切り20分前、という際どさでした。印刷製本の期間を除くと実質製作日数60日あまり。そのうち使用写真の手配と入手だけでほぼ40日。
 
私とK.I.女史が新規の原稿書き起こしに使えたのは正味わずか2週間程度。その間、藤岡会長はほとんど毎週沖縄通いと関連集会で、頻繁に不在。
 
そういう中で私たち製作チームは扶桑社版との差別化に全力を振り絞ったのでした。
 
こうした事実を隠蔽してまでの、「扶桑社版と8割が同じ」という、読売新聞への回答には「松本たち製作スタッフの新規の仕事はほんの2割程度ということにして、あってもなくても、あの教科書全体にとっては影響無かったことにしてしまおう。すべては自分一人の手柄になるべきだ」という藤岡会長の本心が反映されています。
 
もちろん、「つくる会」が生まれたのは藤岡氏と西尾先生のあったればこそで、そこから生まれた教科書は藤岡氏の功績でしょう。何度か離れかけた私をその都度引き戻し、とにもかくにも教科書製作が出来る労働力として確保したのも藤岡氏の功績かもしれません。私は「藤岡会長には何の功績も無い」などという積りはありません。
 
しかし、人の使い方がいかにも打算的、しかもやり方がとことん汚い。それを脇であおるのが階級差別主義者の石井です。その悪辣さ、傲慢さには私の家内までが深く傷つけられ、5月、6月は体調を崩して通院したほどです。
 
私の30年来のパートナーである0女史は、真に聡明かつ温厚な女性で、この30年間、私は彼女が怒りを露にするのを見たことがありませんでした。その彼女も残務整理で加瀬氏のもとに資料を返却に行っった際に加瀬氏から屈辱的なことを告げられ、帰路怒りのあまり地下鉄のホームで嘔吐してしまったそうです。事務所へ帰ってきてもなお、体が怒りで震えて止まらなかったのです。
 
検定が合格しなければ松本の責任にすればいい。検定さえ合格し、自由社の業者認可さえとれてしまえば邪魔な存在―藤岡氏はそう考えていたのではないでしょうか?事実、側近石井は検定合格前、すでにそのような類のメールを加瀬英明氏に送っていました。(悪いことは出来ないもので、石井はそのメールを消し忘れ、うかつにも私のところへ送ってしまったのに気付かなかったのです)
 
検定合格が発表になった4月9日の、その夜から、藤岡会長と石井夫婦は、パーティーに見本配布実現のためにまたしても連続徹夜状態で作業している私とSデザイナーに無理難題を突きつけ始め、それは連日エスカレートしていきました。その無茶な指示の記録は私の手元に残っております。日曜日にもかかわらず突然一度に21件の指示を「直ちに実行しろ」と命じてきたこともありました。(私は「藤岡21か条要求」と名づけました)
 
しかし、そのほとんどを、石井と組んで私を市販本製作作業から排除し、自分たちが実権を握って市販本を完成(実態は破壊)する段になった途端、あっさり撤回してしまった事実を見れば、私たち製作チームへの一連の無理難題は、加瀬氏に私たちを無能、反抗的、と印象付けることで、私たちを作業から遠ざけさせ、自己顕示が十分出来る市販本をつくりたかったのだろう、という私の想像は十分説得力があるのではないでしょうか
 
私や両Sデザイナー、K.I.女史、私の事務所の二人のスタッフの、白表紙本製作と二度の検定修正に、その都度断然足りない日程の中で徹夜を重ねたあの努力と、その中で「これが検定合格しなければすべてが終わる」という心理的重圧への『つくる会」の評価は昨日の新聞への説明では「2割」以下だそうです
 
その上の、側近石井のわれわれに対する中傷誹謗、悪口雑言の流布‥
 
(石井の言行の劣悪さ、階級差別発言はいずれ「市販本表紙問題」として詳しく解説しますーあの「タイ安物土産物の表紙はどのようにして生まれたか?)
 
これが藤岡「つくる会」の、自分のアピールのためには人の誠意も努力も踏みつけにしていく実相です。しかも実社会の慣習、常識を無視し、荒唐無稽な要求を「国のため、運動のため」と押し通そうとする。何が何でも藤岡信勝個人が輝き、注目を集めなければいけない=スターリン毛沢東金日成と変わるところは無い個人崇拝誘導、独占支配体制の確立。それがいま「つくる会」が歩んでいる道です。副会長には、問題視はするものの、結束してそれを軌道修正する意欲も情熱も、結局は無いようです。(皆さん、手を汚すのはお嫌い。しかし私は代理戦争の道具にされるのはもうごめんです)
 
昨晩、つくる会鈴木事務局長に電話し「8割は扶桑社と同じ」について厳重に抗議しましたが、氏は「私は上からこう回答しろ、と指示されたとおりに伝えたに過ぎない」と弁明しました。副会長も事務局長も結局「藤岡個人商店」の無軌道、無計画を傍観しているだけです。扶桑社から攻撃される格好の種を、いわれるままにばら撒いているのです。私が扶桑社マナベなら見逃しませんね。
 
結局、現在の「つくる会執行部」には何の将来的Visionも無いのです。エイハブ船長の個人執念だけで「新聞紙上での個人の名声」という白鯨を追い回しているに過ぎないように見えます。
 
横浜の採択は自分の手がけた教科書の価値が認められ、2年間で少なくとも26,000人+私の家庭教師の教え子1名がそれを勉強してくれることは嬉しくはありますが、一方それがまたエイハブ船長の独裁かつ乱脈運営を延命する手助けになるかと思うと忸怩たるものもあります。
 
まあ、私の決算としては「人生の無駄遣いだったなあ」というのが正直のところです。あれこれいわれても、扶桑社の倍以上取れた教科書を作ってお見せしたのですから「取れれば官軍」ですね。自分で言うのも何ですが、家内も含め私の今回のチームは誠意と責任感では最高だった、と思います。それだけに藤岡【つくる会】からこのような扱いをされたことに対し、チームの皆には本当に申し訳なく思っています。
 
一部の方には、私がいずれ自由社つくる会に復帰するのではないか、あるいは復帰させたい、というご希望があるようで、いくつかの方面からその打診もいただきましたが、私にはその気持ちはまったくありません。あのような命がけの情熱は【つくる会】にも【自由社】にも持てないのです。私を支えてくれた最高のチームももはや機能しません。皆が「藤岡先生」を敬愛していただけに、手ひどく裏切られたことへの不信もひとかたではないのです。
 
藤岡氏が自分の正しさを証明するには来年検定提出の白表紙本に「無能な松本に書かせてしまった文章は一言一句使わずに」2年後、今回以上の採択を取ってみせるしかないでしょう。まあ、頑張ってください。
 
今回の採択は藤岡氏が裏で横浜市の教育長に直接働きかけた、という情報も流れているそうですが、どっちにしても8区の票を取るのに教科書の中身が青葉台あき子の宣伝のように箸にも棒にも掛からなければ、土台無理だし―まあ、中身も扶桑社よりはましだった、ということでしょう。
 
昭和天皇のお人柄をきちんと紹介できたこと」「冤罪B,C,級戦犯の犠牲と遺族の苦しみを文部科学省検定で初めて認めさせたこと」「軍服を着用しない人間の武器携行や戦闘参加は戦時国際法違反で保護の対象にならない、という記述も検定を通したこと」は私の密かな満足です。 

しかし、もう店仕舞い。あんな心臓に悪い思いは一度で沢山。しかも大切な仲間や家内を傷つけてしまった。あれこれいう人は自分でやって御覧なさい。それも藤岡さんの下で‥中に入ってみなければ判らないのが「つくる会」とお化け屋敷です。
 
なお暑いのでお大切に