「自由社」元役員・松本謙一氏の告発メール第2弾

薔薇、または陽だまりの猫
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/0948b547a22c2969a0578ebb99ed49da
より

新しい歴史教科書をつくる会」の教科書発行元「自由社」の取締役教科書編集室長だった松本謙一氏が藤岡信勝つくる会」会長と石井竜生「自由社」出版部長(推理作家)によって「自由社」を追放されるという内紛があり、松本氏が昨年8月に告発メールを流したことを以前お伝えしました。
下記参照
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7151932631d42a3fd3105bdc6e603974
 
松本謙一氏の告発メールの第2弾が流れてきました。
追放された恨みを差し引いても、かなりの真実が読み取れます。
 
・「自由社」の実務は石井竜生氏が取り仕切っており、社の内情は教科書発行者の
 体を成していない。
加瀬英明社長が「これは企業活動ではなく運動」と発言するなど、「つくる会」と
 「自由社」の一体ぶりが改めて浮き彫りになっている。
・「自由社」版の検定合格まで文部科学省の懇切丁寧なサポートがあった。
・石井竜生氏は藤岡信勝会長、加瀬英明社長を軽蔑している部分があり、さらなる
 内紛の火種となる可能性がある。
・「つくる会」の3副会長による藤岡降ろしのクーデター計画があったが、横浜市
 大量採択で吹き飛んだ(その意味でも横浜の不正採択の持つ意味は大きく、
 徹底追及されなければならない)。
 
などです。

inoue
changejapan2009@yahoo.co.jp
 
以下、原文のまま。
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Subject: Re: [oshirase:00121] 月例運動会議(1月)のお知らせ

新しい歴史教科書をつくる会」東京支部 川島事務局長ならびに支部会員の皆さまには、あけましておめでとうございます。 私は「つくる会」を疾うに離脱しておりますが、今般、川島様からのご案内を配信いただきました。ありがとうございます。せっかくいただきましたので、議題の一つ、「寄付募集」に関する私の見解をお伝えしておきます。
議題の教科書製作への寄付依頼ですが、率直に申しまして、対応は慎重にお考えになった方がいいと思います。
昨年5月から、自由社は、経営現場に乗り込んだ、小説家の夫婦(新「自由社」設立に当っての出資額は妻5万円、夫0円。ちなみに松本は60万円で、昨年9月K氏に全株譲渡)によって運営されていますが、人件費への無計画、営業コスト意識の欠如、冗漫な手柄話での業務阻害、などといった批判が、ボランティアやアルバイトで自由社事務所、つくる会本部にに詰めている方々のお口から外部へ洩れているようです。小説家の口から直接、あるいは「つくる会」理事を経由して、一部の会員に伝わった言葉も相次いで失笑や顰蹙を買っています。
この小説家は早稲田の法学部を大学院まで出た、というのが自己紹介の常套句ですが、私の感覚としては異常に思えるほど、他人の出自や学歴、年収でその人を公然と価値付けする人です。藤岡会長の月収、八木裁判の弁護士の年商、私はほとんど初対面の人の年収など、こちらが問わないのに「あの人はこの程度稼ぐ」と、わざわざ解説します。そして、話題にしている人間が社会的身分は高くない、ということをいうために「所詮○○」とか「たかが○○」という表現で他人をランク付けします。
その最たる例は、先年の「つくる会」の分裂騒動の際に評議員として「全国評議員支部長会議」に出席し、冒頭、当時の事務局長、事務局員を差して、「たがが使用人のことで‥」と言い放ち、多くの出席者の顰蹙を買った一幕です。
盟友であるはずの藤岡氏を評してさえ「屯田兵の末裔だから所詮あの程度」という発言を、私は複数回聞かされていますし、加瀬英明氏の経歴についても、例によって「所詮は‥」をつけて、「そこまで言うか!?」というほど全否定的な言辞を吐いたので、「同志についてさえ、別れた途端にこれだけのことを言い放つ、この人はどういう人なのか!?」と内心驚きました。
一昨年来、文部科学省で検定通過までさまざまなアドヴァイスをくださった職員の方々についてさえも「あれはキャリアじゃないから、力は無い」など、感謝の念という気持ちとほど遠い評価をする人です。
彼のそういう身分差別的な放言を聞いて、「つくる会」から身を引いたり、市販本大量購入を見送った会員も実はあります。いずれも「つくる会」で会長、副会長が日常的に言葉を交わしてきたような立場の方々です。
昨年5月以来、藤岡氏に懇願されて自由社のアルバイト勤務やパート勤務に出た方々の中からも、自由社のあり方に対する批判、疑問が社の外、すなわち「つくる会」の横のつながりで洩れてきています。
これは、現場責任者である小説家のそうした差別感情がどうしても日ごろの言動に滲み出して密かな反発を覚えさせてしまう、つまり、出版部長として人心の掌握すら出来ていないからではないでしょうか?
そういう、いわば、情報管理も金銭感覚も「ザル」状態の自由社が教科書を造るのに対し、善意、熱意の寄付を寄せた所で、自由社の内情に関わってきた私から見れば、それが果たして、本当に教科書制作に前向きに使われるのか、甚だ疑問に思えます。
一方、朗報もあります。
ようやく市販本の売り上げが回収でき、自由社には、46000部分の売り上げ金が入ったと、著者の一人である私に、やっと報告がありました。少なく推定しても今回の入金だけで4000万円は超えます。
学校供給本の売上金は17000部分だそうです。こちらは5月末日に国庫kらから入ります。1170万円強です。
いずれも999部以下は切り捨てた数ですが、合計で5000万円以上入金となる計算で、すでに集まっている1000万円弱の寄付金を合わせれば、歴史、公民、両方の白表紙本製作と採択本の今年分納入には、当座、十分事足りるはずです。
すなわち資金は十分あるはずなのです。
ちなみに前回の第1回白表紙本の制作費は人件費も入れて約2200万円弱だったと記憶しています。
(まあ、そこまでは売れたのも、自慢する積りはありませんが、何といっても教科書本体の出来が好かったからですね。その間、藤岡会長は八木裁判と沖縄通いの連続で、ほとんど教科書製作どころではありませんでした。その訴訟を影で指導していたのは、この小説家でした。)
文部科学省の検定修整も事実上、私に丸投げです。市販本の随筆も、数人の方については加瀬氏が下話をつけてくださった以外、原稿依頼の事務作業はほとんど私が一人でしたのです。その間、会長は小説家とぴったり組んで扶桑社裁判に全力投球でした。私は、業務以外である扶桑社側の陳述書のチェックまでやらされました)
(これらは平成20年12月8日に藤岡氏から頼まれた「いまから白表紙本を造って検定募集に間に合わせてくれ」の仕事内容に一切含まれていませんでしたが、それらから新会社設立にいたる事情まで含め、私は300%以上キチンとやったということだけ、お伝えしておきます)
(ある副会長よりの情報によると、私から教科書製作の業務を取り上げて以後、小説家が進んでしたことは、自分が急いで探した別のデザイナーに、あの安物のタイ土産表紙を急造させたことだそうです。しかも、その仕事だけで40万円のデザイン料を払ったうえ、「安かった!」、と理事会で吹聴したそうです。本当だとすれば、そういう呆れた金銭感覚なのでしょう。どう見ても、40万円は安い!というデザインには思えませんが‥表紙の顛末については、長くなるので、また機会を改めましょう。驚くような裏話です)
つまり、この不況下、皆さんが今すぐ、やりくりなさって「教科書製作」に寄付をなさらなくとも、自由社に資金は当面潤沢なはずです。(合理的な経営が行われていれば、ですが)
日常経費については、さる企業からも定期的に資金貸付がある、という話も耳にしました。
私が支部長当時から、つくる会本部には伝統的に、「金が足りなければ、会員に呼びかければ簡単に集まる、理事が本を書けばすぐ注文が集まる」という甘えがあり、私は宮崎事務局長(当時)に、「東京支部などは子育ての大変な中、家族子供まで会員にしてくれている人が多いのだから、そういう熱心な会員を狙い撃ちにするようなことは止めナよ!」と再三苦情を言ったものでした。
扶桑社本2回目の採択戦の折、(私は東京支部長でした)「採択戦必要資金」として、本部は今回のように会員の浄財寄付を募りました。私もたしか10万円か、それ以上寄付したと思います。しかし、その中から本当に採択戦に投入された金額は僅かでした。それどころか、集めた浄財をどう投入するのか、そのヴィジョンすら定かではない。情報戦用のチラシでさえ、「予算が無いから」の連発で満足に造られませんでした。「支部は個々勝手に前進しろ!」と、実際の採択戦指揮は支部に丸投げされたも同然でした。
そして、採択戦が終わってみると、呆れた事に、「採択戦運動費」として集めた浄財の半分が、本部運営用の予備費として温存されていたのです。つまり、採択戦には敢えて投入されなかずキープされていたのです。
以後、それは「あれは虎の子だから、手を着けられない」の一点張りで死蔵されてきました。(それでもここ数年の赤字補填に使われて目減りはしているでしょうが)
つまり、会員の義侠心を刺激して金を集めながら、その本来の目的には満足に使わず、本部延命の資金に転用してきたのです。本部運営の資金不足なら、正直にそう説明して寄付を募るべきです。
一方で金の入った自由社、一方には前々回採択戦に成果を上げて欲しい、と寄せられた浄財を死蔵する「つくる会」本部。これで、さらに会員の情熱を刺激して、「教科書製作費」として5000万円を集めて、どうしよう、というのでしょうか?古今東西、金が集まりすぎるとトラブルの芽が生えてきます。先年の分裂騒ぎは、本部留保金の頂点で起こっています。
今後の自由社が本当にまともな経営が出来るのか、教科書業者に認定はしたものの、文部科学省も、相当心配して注視していると思います。
私が最初に文部科学省に業者資格の説明を聞きに行った際、一度業者認定されても文部科学省が決算報告を精査して経営不適切と判断した場合は供給期間終了までは供給できるよう、他社に合併指導がおこなわれる、と説明を受けました。
加瀬先生の社長就任披露パーティーに関しても、あのパーティーの会場の予約手配まで、文部科学省の手続きや随筆の原稿依頼のさなか、私がやらされたのです。本当に体の動かない人達でした。
私は会場の予約まで取った段階で、「あとは自分がすべてやる」と言い出した小説家氏に引き継ぎました。
ところが、パーティーの案内状も原稿の作成が遅れ、しかも担当した小説家の確認が杜撰でした。人手の少ない「つくる会」本部職員を使っての急ぎの袋詰めを終えてから、その文面に問題があって配れないものである事が発覚し、それを全部廃棄して作り直したのです。
その、再度の袋詰めも「つくる会」本部に丸投げでした。どんなに失態があっても、それをカヴァーするための回復作業でさえ、「体を動かすのは、先生、と呼ばれる人間のすることではない」という、朝鮮の士大夫意識みたいなものがあの人たちにはあるようです。
その後もつくる会事務局は折りあるごとに自由社のパシリに使役されている様子が見えます。「自由社」と「つくる会」の仕切り感覚もいまの「文京区水道」では失われている、ということでしょう
このパーティー案内状刷り直しも、その小説家の生んだ無駄な出費の一つですが、藤岡氏はそういう失態も見て見ぬ振りです。八木裁判では小説家には事実上の弁論指揮まで引き受けてもらい傍聴記録など多大の世話になったことですから、致し方ないのでしょうか?‥そういう「私」と「公」の区別を明らかにできない人間関係が支配しているのが現在の自由社の状況のように私には見えます。
今回の寄付募集についても、もし、「自由社の経営はなるに任せるしか仕方が無い、その帳尻合わせを会員の善意で埋めていこう」と、「つくる会」執行部が発想したのならなら、裏切られるのは「つくる会」会員です。いま自由社と「つくる会」において、最大の問題は、双方の上層部の誰も、きちんとスケデュール化した活動マップを造ろうとしないし、問題解決に責任を取ろうとしない、ということのように、私には見えます。
「自分は、つくる会に関係していると判るとテレビ等の仕事が来なくなるから表には出られない」というのを理由に、新自由社設立に1円も出資しなかった人間、つまり「自分はつくる会の被害者だ」と折りあるごとに言い放ってきた人物が事実上全権を握って、会社を支配しているのに、誰も疑問を呈することができない雰囲気が造られているように感じます。
自由社社長は昨年4月以降は「これは企業活動ではなく運動なので、私は会社の全権を藤岡先生にお任せしています」と株主の前で再三表明しています。
一方、「つくる会」藤岡会長は昨年4月当初は「私が自由社に関する全権を委任されたので、責任はすべて自分が取る」と宣言していましたが、8月には早くも「経営のことは加瀬社長と I さん(小説家先生)にすべて任せて、自分は採択と次期教科書制作に集中している」という書簡を私に送ってくる状況で、以後、会社経営の責任の所在すら、「自由社社長」と「つくる会会長」の双方で突き放している状況が続いています。
その間で、「つくる会」副会長の一部は、7月には「つくる会の藤岡個人商店化は困る」と藤岡降板を画策して、私に協力を求めてきたかと思えば(どうせ腰が砕けるのは目に見えていたので真剣に相手にしませんでしたが、「動きを造る起爆剤に何か発表してくれ」と頼まれたので、書いたのが8月に皆さんに回したメールです)、横浜の採択が取れた途端、案の定、「藤岡降板」はどこへやら、涼しい顔で副会長再任に唯々諾々と応じている有様。
例によって取り繕ったシャンシャン総会以後は会長も副会長も、「会」と自由社の社会的信用に関わるすべての課題に沈黙。結局、誰も責任を持ちたがらない、持たせようとしない‥ひたすら世間の「分裂批判」をおそれて、羹(アツモノ)を押し付けあっている、という感じです。繰り返されるのは空疎な掛け声だけで、具体的なヴィジョンが全く無いのが、私が見てきた「つくる会」の内側風景です。
そこへ加えて、外から乗り込んできた男一人にすべてを牛耳られて本来の運動家たちが、ひたすら、その顔色を覗っている=鳩山内閣となぜか非常に似た様相を呈して来ているのが、いまの自由社つくる会連立ではないでしょうか。
実際にある副会長は「問題があっても、自由社はあの人(小説家)に任せるしか他はないのだ」という、会社経営の厳しさを身をもって体験してきた者には信じられないような無責任な発言を私に寄せています。
つまり、副会長たちは会長にものが言えない。会長は自由社を仕切る小説家にものが言えない― ということは、教科書も運動も、すべてはこの小説家先生お一人の恣意、気まま、に牛耳られた、ということです。その人が「自分とつくる会との関係をテレビ局に知れると番組化が破談になるので困る」と自分の打算を優先してきているわけですから、まさに「つくる会」運動は「漂流」状態、ですね。
しかも、司令長官も艦長も、副長たちも、救命ボートに片脚を入れながら、です。そういう状況を知らされていないのは一般会員だけ。何か、心が痛む風景です。
皆さまにおかれましても、他にも大切な運動を複数支援していらっしゃるわけですから、御寄付については、もうしばらくは自由社の行方を観察したうえで、お考えを固められた方が、せっかくの血のにじむような善意が無駄にならないだろう、と思います。文部科学省は親切だが、甘くは無い、とてもごまかしきれるものではない、というのが、ほぼ1年、頻繁に出入りして付き合った私の感想です。
ちなみに、私は現行の自由社版「新編 新しい歴史教科書」では「戦艦大和」をはじめ巻頭グラビアグラビアすべて、「昭和天皇のお言葉」などコラム記事の新作ほとんど、など独立記述の21%、図版の説明、側注、「ここがポイント」、のほぼすべてを、書いております。(助手の女性記者によるものを含む)このうち、独立記述の21%は私の個人著述して著作権は私に帰属すると認められております。(藤岡会長、杉原、福地両副会長が認定)
このような漂流状態では「新編 新しい歴史教科書」に提供した自分の著述もどのように改変され、本来の意図が換骨奪胎されるか判ったものではありませんので、去る12月に自由社内容証明郵便で、次期検定応募の白表紙本には、これら私の著述と認定された文章を再度使うことは一切認めない、と公式に申し入れ、同文を藤岡氏にも届けました。
皆さまの今年のご健勝をお祈りします。私は「日本文明の独自性探求」という視点で、「つくる会史観」とは別の歴史教育運動で行動していきます。

元東京支部長、元評議員、前自由社取締役教科書編集室長
松本謙一

 「新しい歴史教科書をつくる会」でまたまた内紛  自由社教科書編集室長はこうして追放された!